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千葉地方裁判所 昭和63年(ワ)716号 判決

反訴原告

花岡健人

反訴被告

高橋衛

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し金六五三万六一六〇円及び内金五九三万六一六〇円に対する昭和六三年六月四日から、内金六〇万円に対する本判決確定の日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和六一年二月二一日午前七時五五分ころ

(二) 場所 千葉県習志野市茜浜三丁目五番地先路上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 被害車両 足踏み式二輪自転車(以下「原告車」という。)

右搭乗者 原告

(四) 加害車両 普通乗用自動車(千葉五九せ九二七二号。以下「被告車」という。)

右運転者 被告

(五) 態様 原告が原告車に搭乗し、前記日時に本件事故現場の丁字路交差点を右折しようとしたところ、後方から進行してきた被告運転の被告車に、原告車後部に追突された(以下右事故を「本件事故」という。)

2  責任原因

被告は、被告車を所有し、これを自己のため運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償補償法三条の規定に基づき、原告が本件事故により被つた損害を賠償する責任がある。

3  原告の受傷の部位及び治療経過等

原告は、本件事故により、腰部打撲及び頭部打撲の傷害を受け、第一・二腰椎が変形し、両大腿部の痺れの症状、及びむち打ち症による頭痛の症状等があり、事故当日から昭和六二年六月までの間津田沼中央病院において通院治療を受け、同月症状固定の診断を受けた。

4  損害

原告は、本件事故により次のとおり損害を被つた。

(一) 通院交通費

原告は、昭和六一年二月から同年一二月までタクシーを利用しての通院を余儀なくされ(通院回数六二回)、自宅から前記病院までのタクシー料金は片道一二〇〇円であるから、タクシーによる通院に一四万八八〇〇円を要し、また、昭和六二年一月から同年六月までバスを利用して前記病院に通院をし(同一六回)、自宅から前記病院までのバス料金は片道二三〇円であるから、バスによる通院に七三六〇円を要し、通院交通費として合計一五万六一六〇円を要した。

(二) 得べかりし利益の喪失

原告は、昭和四一年に東京都立大学工学部を卒業し、以来会社等に就職することなく、高学年の高校生を中心とした家庭教師に専念して生計を維持し、本件事故前一年間に一か月当たり二九万円を下回らない収入を得ていたところ、本件事故による受傷及び通院治療のため、本件事故当日から昭和六二年五月までおよそ一五か月間稼働しえず、その間四三五万円の収入を得ることができなかつた。

(三) 慰藉料

原告は、本件事故による受傷及び通院治療のため、多大な精神的苦痛を被つたものであり、これに対する慰藉料は一四三万円が相当である。

(四) 弁護士費用

原告は、被告が原告の被つた損害の任意支払に応じないため、やむなく原告訴訟代理人に本件訴訟の提起、追行を委任し、その報酬等として六〇万円を支払う旨約した。

(五) 治療費及びそのてん補

なお、原告は、本件事故当日から昭和六二年三月二〇日までの前記病院の治療費として三五万一二四〇円を要したが、被告から右治療費の支払をうけた。

5  よつて、原告は被告に対し、前記4(一)ないし(四)の損害合計額六五三万六一六〇円、及び同(一)ないし(三)の損害合計額五九三万六一六〇円に対する本件事故発生の日以後で、反訴状送達の日の翌日である昭和六三年六月四日から、同(四)の損害額六〇万円に対する本件事故発生の日以後である本判決確定の日から各支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)ないし(四)の事実は認める。(五)の事実中、原告主張の日時に本件事故現場において、原告搭乗の原告車後部に後方から進行してきた被告運転の被告車が追突したことは認め、その余の事実は否認する。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実中、原告が本件事故により腰部打撲及び頭部打撲の傷害を受けたことは認め、その余の事実は否認する。原告の右傷害は一週間で全治したものであり、原告主張の長期の通院治療は原告の素因、私病ないし心因性に基づくものであつて、本件事故とは因果関係がないものである。

4  同4(一)の事実は否認する。原告の通院交通費は、通院治療期間一週間、通院実日数四日間とし、一日当たりの費用を一〇〇〇円として、合計四〇〇〇円程度である。

(二)の事実は否認する。本件事故当時の状況等からみても、原告が正常な状況にあつたとは判断し難く、原告がその主張のような業務に就いていたとは考えられない。原告は、本件事故当時その妻の収入により生活していたのであり、収入を得ていなかつたのである。

(三)の事実は否認する。原告の慰藉料は、通院期間を前記傷害の全治期間である一週間、金額を一日当たり四〇〇〇円とし、合計二万八〇〇〇円が相当である。

(四)の事実は否認する。

(五)の事実中、原告主張の期間の治療費がその主張の金額であり、被告が原告に対し右治療費を支払つたことは認め、その余の事実は否認する。原告の治療費は、前記傷害の全治期間である一週間に要した四万八六四八円(本件事故当日から昭和六一年三月三一日までの間の治療費一二万一六二〇円の一〇分の四に当たる金額)のみが本件事故と相当因果関係があるというべきである。

右(一)ないし(五)によれば、原告が本件事故により被つた損害は合計八万〇六四八円であるところ、原告には後記のとおり五割を下回らない過失があるので、右合計額から過失相殺により五割を減ずると、原告の損害は四万〇三二四円となるが、右のとおり被告は原告に対しこれを上回る三五万一二四〇円を支払済みである。

三  抗弁

原告は、原告車を運転し、本件事故現場を千葉市方面から船橋市方面に向かつて進行中、原告車の後方を被告車が進行していたのに、後方の安全を確認することなく、漫然と、斜めに原告車進路前方に出てきたため、原告車と衝突したものであるから、原告には本件事故の発生につき五割を下回らない重大な過失があり、原告の右過失は損害賠償額の算定に当たり斟酌されるべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。原告は、本件事故現場の丁字路交差点を右折すべく、右手を横に出して右折の合図をしたうえ右折を開始したものであるから、原告にはなんらの過失もなく、本件事故はもつぱら被告の過失によるものである。

第三証拠関係

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生

1  原告主張の日時に本件事故現場において原告搭乗の原告車後部に後方から進行してきた被告運転の被告車が追突したことは当事者間に争いがない。

2  本件事故現場の状況及び本件事故の態様等について検討するに、右争いのない事実と、成立に争いのない甲第三号証、原告(第一回。後記措信しない部分を除く。)及び被告各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件事故現場は、千葉市幕張町方面(北西方)から船橋市高瀬町方面(南東方)に通ずる県道千葉船橋海浜線(以下「甲道路」という。)と、習志野市秋津三丁目方面(南西方からきて甲道路にほぼ垂直に突き当たる道路(車道幅員約一七メートル。以下「乙道路」という。)とが交差する。交通整理の行われていない丁字路交差点である(以下「本件交差点」という。)。本件交差点の北東側は、本件事故当時、乙道路が北東方に抜ける道路を開設するための工事中であり、工事封鎖中であることを示す柵が設置されていた。

甲道路は、車道幅員一八・七メートルの歩車道の区別のある道路であり、本件交差点の千葉市幕張町方面は、同方面から船橋市高瀬町方面に向かう車線(以下「東行車線」という。)は三車線(一車線の幅員三・一メートルないし三・二メートル)に、反対車線は二車線(一車線の幅員三・二メートルないし三・三メートル)に区分され、その間にセンターラインが引かれ、本件交差点の船橋市高瀬町方面は、東行車線、反対車線ともに二車線に区分され、その間(中央)に中央分離帯が設けられており、東行車線の左側には、千葉市幕張町方面側、船橋市高瀬町方面側ともに幅員〇・八メートルの路側帯が設けられていた。甲道路は、アスフアルト舗装の平坦な道路であり、見通しは良く、最高速度時速五〇キロメートル、駐車禁止の規制がなされていた。

本件事故当時は、晴天であり、甲道路の路面は乾燥しており、甲道路の交通量は多かつた。

(二)  被告は、出勤するため被告車を運転し、甲道路の東行車線の第一通行帯の第二通行帯寄りを、千葉市幕張町方面から船橋市高瀬町方面に向かつて時速約五〇キロメートルで進行し、本件交差点を直進しようとしたところ、本件事故現場の約五〇・七メートル手前の地点(本件交差点の千葉市幕張町方面入口の約一八メートル手前の地点)において、約四一・七メートル前方の、外側線から約〇・六メートル内側の第一通行帯内に、同一方向に進行している原告搭乗の原告車を認めたが、原告が右手をやや横に出してぶらぶらさせ、片手運転で原告車を蛇行させていたため、原告車が右折するのかどうか不審に思い、警告のためクラクシヨンを鳴らしたものの、約八・三メートル進行した地点において、乙道路方向を見て原告車から目を離したまま進行し、更に約一六・七メートル進行した地点において、約二三・四メートル前方に、乙道路方向に右折すべく右折を開始し、被告車進路の前方に右斜めに進入してきた原告車を発見し、衝突を避けるべく急ブレーキをかけたが、間に合わず、外側線から約一・四メートル内側の第一通行帯内において、被告車左前部を原告車後部に追突させ、原告及び原告車をはねとばし、約五・三メートルやや左斜め前方に進行して停止した。本件事故現場の路上には、被告車の左側前後輪によつて印象された長さ約一八・二メートルのスリツプ痕が残され、被告車は本件事故により前部バンパー擦過損、左前ライト部凹損の損傷が生じた。なお、本件事故当時、東行車線の他の通行帯にも通行車両があつた。

(三)  原告は、原告車に搭乗し、本件交差点内の甲道路の東行車線の第一通行帯を、千葉市幕張町方面から船橋市高瀬町方面に向かつて進行し、本件交差点の船橋市高瀬町方面出口付近で右折して乙道路に進入するため、本件事故現場の約一一・二メートル手前において、右手をやや横にあげて右折の合図をし、約六・七メートル進行した地点から徐々に右斜めに進行したところ、外側線から約一・四メートル内側の第一通行帯内において、被告車左前部から原告車後部に追突され、その衝撃によりはねとばされ、原告及び原告車はやや左斜め前方に約四・二メートル進行して路上に転倒した。原告車は本件事故により後輪及び後輪泥除けが曲損した。

以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてにわかに措信しえず、他に右認定を左右する証拠はない。

二  被告の責任原因について

請求原因2の事実は当事者間に争いがない。

三  原告の受傷の部位及び治療経過について

1  原告が本件事故により腰部打撲及び頭部打撲の傷害を受けたことは当事者間に争いがなく、右事実と、成立に争いのない甲第四号証の一ないし一一、乙第二号証ないし第四号証、原本の存在と成立に争いのない甲第二号証、第五号証の二、同号証の九ないし一二、原告本人尋問の結果(第一回。後記措信しない部分を除く。)によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、本件事故後、救急車で津田沼中央病院に搬入され、田中幹雄医師の診察を受けたところ、頭部CTスキヤナー検査、頭部、頸部及び胸部レントゲン検査において、頭部、頸部及び胸部に異常はなく、不全麻痺はなく、神経学的異常は認められず、全治一週間の頭部打撲傷及び頸部打撲傷との診断を受けた。原告は、その際、本件事故に遭遇したことから興奮し、医師らに対し暴言を吐くなどの言動があつたため、自傷他害のおそれがあるとして、かつて原告が通院していたことがある同和会千葉病院(精神科病院)に転送され、高橋光彦医師の診察を受けたが、原告の興奮がしずまつたため、投薬を受けることなく帰宅した。

(二)  原告は、昭和六一年二月二六日津田沼中央病院の診察を受け、腰痛、吐き気を訴え、脳波検査を希望し、腰部レントゲン検査、脳波検査を受けたところ、脳波に異常はなかつたが、第一・二腰椎に変形と骨棘の形成が認められ、同月二七日から同年四月五日まで断続的に湿布薬、鎮痛剤の投与を受けるなどの治療を受けた(その間、同年三月二九日までの通院実日数は一〇日。)。その間、原告は、同年二月二八日には腰痛の増強、両下肢の痛みを訴え、同年三月八日には左眼がかすむ、胸がしめつけられるような感じがすると訴え、また、同月一七日には脳波検査を希望し、翌一八日脳波検査を受けた。右脳波検査の結果、棘波等の所見があつたが、雑音の可能性もあるとされ、その後の再検査では正常範囲内と診断された。

(三)  原告は、同年四月一五日津田沼中央病院の診察を受け、寒いときの後頭部及び腰部の重圧感を訴え、これまでの投薬に加え、マツサージの治療を受け、同年五月一五日以降は更に垂直牽引、または変形機械矯正術の治療をも受け、昭和六二年六月一五日まで同内容の治療を受けたが、その間、頭重感、頭痛、吐き気、腰痛、両大腿の痺れ、両大腿前面の冷感などを訴え、原告の症状は改善されなかつた。原告は、同年一月一九日には原告の症状は本件事故との因果関係は証明できないとの診断を受け、同年六月二四日には原告の現在の症状は本件事故による腰部打撲に起因する可能性はあると思われるが、その他覚的所見に乏しいとの診断を受けた。

以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてにわかに措信しえず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  次に、本件事故後の原告の行動についてみるに、前掲甲第四号証の一、第五号の証の二、原告(第一回。後記措信しない部分を除く。)及び被告各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、前記のとおり、原告車と被告車との衝突により路上に転倒したが、直ちに立ち上がり、被告から何で急に出てきたのかと尋ねられるや否や、立腹して胸ぐらをつかんで被告の体を揺さぶり、そのため被告の眼鏡が路上に転落して壊れた。原告は、警察官が本件事故現場に到着するのを待つていたが、その間、被告に対し、俺は児玉誉士夫と知合いであるとか、柔道二段で空手二段であるとか述べ、警察官がなかなか到着しなかつたことから、自ら警察署に連絡するために約二〇〇メートル離れた海浜霊園の事務所に歩いて行き、同事務所の職員に対し警察への連絡を依頼した。

(二)  原告は、前記のとおり、その後救急車で津田沼中央病院に搬入されたが、診察をうけた際、興奮し、医師らに対し、お前は誰だ、医者ならドイツ語でしやべれるだろう、医者なら裏口からでも金で入つたんだろうなどと暴言を吐き、駆けつけた妻に対しても、お前は誰だなどと述べたりした。

(三)  原告は、本件事故当日の夜、被告に電話をし、痛くて堪れない、お前もこういう目にあわせてやる、損害賠償として二〇〇〇万円を請求するなどと長時間にわたつて本件事故についての苦情を述べるなどし、たまりかねた被告が電話を切ると、再び電話をするといつたことを繰り返した。原告は、その翌日である昭和六一年二月二二日被告の自宅を訪れ、繰り返し本件事故についての苦情を述べた。

以上の事実が認められ、原告本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてにわかに措信しえず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  前記1認定の事実によれば、原告は、本件事故により頭部及び腰部を打撲したところ、本件事故直後に受けた診察により、頭部CTスキヤナー検査、頭部、頸部及び胸部レントゲン検査において、頭部、頸部及び胸部に異常はなく、不全麻痺もなく、神経学的異常は認められなかつた。原告は、昭和六一年二月二六日の腰部レントゲン検査では、第一・二腰椎に変形と骨棘の形成が認められたが、これは加齢性変形によるものであり、本件事故によるものとは考えられず、その後も、右のほかに、頭部、頸部、胸部及び腰部に骨折、脱臼等が疑われる他覚的所見はなく、神経学的異常も認められなかつた。そして、前記2認定の本件事故後の原告の行動からも、原告が本件事故により重篤な傷害を受けなかつたと推認することができる。したがつて、原告が本件事故により受けた傷害は、頭部打撲と、腰部の軟部組織の傷害にとどまる腰部打撲と認めるのが相当であり、これら打撲の治療期間は三週間程度をもつて足りるとされているから、本件事故による原告の傷害は遅くとも昭和六一年三月末には治癒したものと推認することができる。

もつとも、原告が昭和六一年四月以降も、頭重感、頭痛、吐き気、腰痛、両大腿のしびれ、両大腿前面の冷感などを訴えて昭和六二年六月一五日まで通院治療を受けたことは前認定のとおりであるが、原告に加齢性変形と考えられる第一・二腰椎の変形と骨棘の形成があつたこと、本件事故後の原告の行動等に照らすと、原告の訴えていた右症状は、第一・二腰椎の変形と骨棘の形成、原告の心因的要因等に起因するものであり、本件事故と相当因果関係がないというべきである(なお、同年六月二四日の前記診断は、原告の症状が本件事故による腰部打撲に起因することを否定することはできないが、積極的に肯定することもできないとの趣旨の診断と理解するのが相当である。)。

四  原告の損害

原告は本件事故により頭部打撲及び腰部打撲の傷害を受けたところ、原告の右傷害は遅くとも昭和六一年三月末には治癒したものと推認することができることは、前判示のとおりであるから、以下これに基づき原告の損害について判断する。

1  治療費

成立に争いのない甲第一号証によれば、原告の津田沼中央病院における昭和六一年二月二一日から同年三月末までの治療費は一二万一六二〇円であることが認められ、右認定を左右する証拠はない。

したがつて、原告が本件事故によつて受けた前記傷害による治療費は一二万一六二〇円を上回るものではない。

2  通院交通費

原告が本件事故による前記傷害の治療のため昭和六一年二月二六日から同年三月末までの間に九日間津田沼中央病院に通院したことは前記三1認定のとおりであるところ、前記傷害の部位及び程度に照らすと、通院にタクシーを利用する必要はなく、バスを利用することで充分であつたと認められる。

原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告の自宅から津田沼中央病院までのバス料金は片道二三〇円であることが認められる(右認定に反する証拠はない。)から、原告の通院交通費は四一四〇円となる。

3  得べかりし利益の喪失

原告は、第一、二回本人尋問の際、本件事故当時、高学年の高校生を中心とした家庭教師をし、本件事故前一年間に一か月当たり二九万円を下回らない収入を得ていたこと、右のようにして得た収入を自己の父に預託し、父に父の名義で株式投資を行つて貰つていたことを供述し、乙第五号証(原告作成の報告書)、第八号証(花岡正作作成名義の上申書)にも、これに沿う記載がある。

しかし、原告が本件事故当時高学年の高校生を中心とした家庭教師をして収入を得ていたことに関する乙第五号証の記載、原告本人の供述は、前掲甲第五号証の二、原本の存在と成立に争いのない甲第五号証の三ないし八、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第六号証、原告本人尋問の結果(第一回)に照らしてにわかに措信しえないし、原告が自己の収入を父に預託し、父に父の名義で株式投資を行つて貰つていたことに関する乙第八号証の記載、原告本人の供述も、甚だ不自然であつて、にわかに措信しえない。

次に、前掲甲第五号証の二ないし八、原告本人尋問の結果(第一回。後記措信しない部分を除く。)によれば、原告は、東京都立大学工学部を卒業し、東京消防庁に勤務していたが、昭和五七年五月突然退職し、昭和五八年春ころまで不眠を訴え、昼夜逆の生活をし、午前中は寝ているなどの生活を送つていたところ、同年六月ころ急に釣りに凝り、本件事故時ころまで寝食を忘れて釣りに没頭するなどの生活を送つていたこと、原告は、そのほか、妻に対し、些細なことで怒つたり、暴力を振るうなどの行動があり、昭和五八年一二月一三日前記同和会千葉病院の高橋光彦医師の診察を受け、躁欝病又は精神分裂病の疑いの診断を受けたことが認められ、原告本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてにわかに措信しえず、他に右認定を左右する証拠はない。

右認定事実によれば、原告は、昭和五七年五月に退職してから本件事故時まで全く稼働していなかつたものであり、昭和五八年一二月には前記診断を受けているものであるから、原告が本件事故当日から昭和六一年三月末までの間に稼働し、収入を得ることができたものと認めることは困難である。

したがつて、原告には、本件事故による休業損害ないし逸失利益はないものというべきである。

4  慰藉料

原告は、前記受傷及び通院により精神的苦痛を受けたところ、前記受傷の部位及び程度、通院期間等を考慮すると、これに対する慰藉料は一五万円を上回るものではない。

5  過失相殺

前記一2認定の事実によれば、原告は、本件交差点を右折進行するに際し、東行車線に第一通行帯を後方から進行してくる原告車があつたにもかかわらず、右折の合図を的確にせず、かつ、原告車の動静に注意を払うことなく、右後方に対する安全の確認を怠つた過失があつたものであり、本件事故現場の状況及び本件事故の態様等に照らすと、原告には、本件事故の発生につき少なくとも三割の過失があるものというべきである。

右1ないし4によれば、原告が本件事故により被つた損害は合計二七万五七六〇円を上回るものではないところ、過失相殺により三割を減ずると一九万三〇三二円となる。

6  損害のてん補

原告が被告から三五万一二四〇円の支払を受けたことは当事者間に争いがないところ、過失相殺後の原告の損害が右支払額を上回るものでないことは計算上明らかであるから、原告の損害は既にてん補されているものというべきである。

7  弁護士費用

原告の損害が既にてん補されていることは、前判示のとおりであるから、原告の弁護士費用の請求は失当である。

五  よつて、原告の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 丸山昌一)

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